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上郷温水路群

上郷温水路群 大正15年横岡第1発電所の操業を機に、長岡集落の代表者たちによって考案され、5ヶ所が順次造られました。鳥海山からの雪解け水は、水温が低く農業用水には適さないため、川幅を広げ日照による水温上昇を図る工夫をしています。現在も約500haの水田に用水を供給しており、日本の農業と土木構造の近代化を示す貴重な遺産です。
 平成21年3月13日、市指定有形文化財(建造物)に指定されました。

陽山寺山門

陽山寺山門 院内の禅林寺の末寺で、禅林寺六世の竹陰是忠和尚が上院内にあった安楽寺を現在地に移し、陽山寺と改めました。陽山寺山門は、瓦葺きの楼門で仁王像を安置しており、建立は宝暦年間(1751年〜1764年)と伝えられています。また、陽山寺庭園には、樹齢350年以上とされるツツジがあり、それらは市天然記念物に指定されています。
 昭和49年3月1日、市指定有形文化財(建造物)に指定されました。

象潟図屏風

象潟図屏風 潟時代の象潟の模型や当時の鳥海山や島々、待ち奈もを忠実に描写している絹本着色象潟図屏風(六曲一双)があります。
 昭和33年2月13日、県指定有形文化財(絵画)に指定されました。

旧佐々木家

旧佐々木家 由利地方の南部系曲家と新潟地方の中門造り曲家の交錯した地域。豪農であった佐々木家は、有畜、養蚕を取り入れた、人、馬、蚕ともどもの住居で、明治9年に建てられた南部系曲家です。昔の農家の人馬一体となった生活を伺うことができる家屋は極めて少なく、貴重な民家です。
 平成4年3月1日、市指定有形文化財(建造物)に指定されました。

山根館跡

山根館跡 応仁2年(1468年)に仁賀保氏の祖である大井氏が修復して居住していますが、平安時代中頃に築かれたとの伝承を持ち、詳細はわかっていません。江戸時代初期に廃城になったとの記録があります。現在、主郭の礎石や石畳が復元され当時の様子が偲べるようになっています。
 昭和61年3月25日、秋田県指定史跡に指定されました。

沖の島方角石

沖の島方角石 方角石は海岸の小高い丘の上に備えられ、その日の雲のわき立つ様子や風向きを見定め、出漁に適しているかの判断に用いられました。この方角石は単材形で鳥海石を用い、地中埋め込み式で、方位目盛を刻んだ部分のみを円形平滑に加工し、下部は末広がりに荒削りになっています。十二支の目盛が刻まれているのは全国的にも珍しく、金浦港の歴史の古さを物語っています。
 昭和57年8月26日、金浦町指定有形文化財に指定されました。

海難者供養碑【地蔵様】

海難者供養碑(地蔵様) 一番多くの海難者を出した元文2年(1737年)12月29日、遭難した86名の供養のため立てられました。大シケでも無理して漁に出なければならなかった時代であったため、海難事故は後を絶ちませんでした。毎年8月29日の宵宮を、船主組合が営んで参詣者で賑わいます。
 平成4年8月11日、金浦町指定有形文化財に指定されました。

西国三十三観世音菩薩

西国三十三観世音菩薩 安政4年(1857年)に建立されました。安政2年、金浦の港島に藩の命令により海岸防備のためお台場が築かれ、安政6年には黒船が秋田に現れ、異人が男鹿半島に上陸しました。また辺境の金浦でも勤皇、佐幕で流動する時代、不安定な社会、信頼を失った政治などで頼れるものを失った人々が、観世音菩薩造立に心の救いを求めたとされています。
 昭和62年12月25日、金浦町指定有形文化財に指定されました。

院内油田跡地

院内油田跡地 明治維新以降、急速に進められた石油産業の中でも国内最大規模を誇る院内油田。大正12年に第1号井が機械採油に成功してから、徐々に様々な石油会社が参入し、油田の開発が活発化してきました。昭和6年に平沢に製油所を建設し、昭和15年頃には年産11万klに達し最盛期を迎えましたが、戦後以降産油量が減少し平成7年に閉山となりました。現在は、石油採取したやぐらや、ポンピングパワー棟が当時のまま残されており、貴重な産業遺産となっています。
 平成19年、近代化産業遺産(経産省)に指定されました。

蚶満寺(かんまんじ)

蚶満寺 歴史の面影をとどめる文化遺産、蚶満寺。この寺は、比叡山延暦寺の慈覚大師が開山したと伝えられています。奥の細道は松尾芭蕉が、西行法師、能因法師の詠った地を訪れるのが目的の一つでしたが、「此の寺の方丈に座して簾を巻けば風景一眼の中に尽きて・・・」と書かれているように昔は、八十八潟、九十九島の景色の要にありました。

九十九島(くじゅうくしま)

九十九島 入江に大小様々な島が浮かび、松島と並び賞された景勝地でしたが、文化1年(1804年)象潟付近の大地震により約2m以上地面が隆起して現在の地形となりました。隆起する前は多くの著名人も訪れ、元禄2年(1689年)「奥の細道」で松尾芭蕉が象潟まで足を延ばしていました。
 昭和9年、天然記念物に指定されました。

三崎山旧街道(みさきやまきゅうかいどう)

三崎山旧街道 9世紀に、慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん)が開いたとされるが、日本海側唯一の街道として重要な役割を果たしてきました。起伏が激しく岩だらけの難所で、元禄2年(1689年)松尾芭蕉とともにこの街道を通った曾良は「是より難所。馬足不通」と旅日記に記しています。人々の往来で磨り減った石や、榎が植えられた一里塚など、往時の様子を今でも伝えています。
 昭和33年2月13日、県指定史跡に指定されました。

由利海岸波除石垣

由利海岸波除石垣 金浦飛地区と仁賀保芹田地区にまたがる石垣で、江戸時代に本荘藩二万石の助成のもと築造されました。荒ぶる日本海の波浪から海岸保全するとともに、波浪や強風による塩害から田畑を守るため、さらには北国街道の決壊防止を防ぐ目的でもありました。自然石を積み上げ、中には小割り石や砂利を詰め、随所に農業用水に支障を来たさないための水抜きを配した高度な技術であり、貴重な土木遺跡です。
 平成9年9月11日、国指定史跡に指定されました。


象潟祭典

象潟祭典 5月第3日曜日に行われる熊野神社と古四王神社のお祭りです。同日に、華やかな山車に乗った子供たちの「しゃぎり」が祭りを盛り上げます。

しゃぎり

しゃぎり 象潟祭典の日には、山車に乗った子供たちが町を巡ります。山中を通る山伏などがホラ貝を吹き鳴らして獣を遠ざけたように、にぎやかなはやしを先頭にして往来を遮るものをよけさせたのが「しゃぎり」の由来です。

まんだらモチ占い

まんだらモチ占い 鳥海山修験の里、小滝金峯神社本殿で、1月7日の七日堂祭りで行われます。祭りの当番宿の年男が、一人で密かについた1.8kgのモチの5ヶ所に米を散りばめます。当日、モチの上にお札を置いて四方に火をつけ、燃え方やモチの凹凸の出来具合で稲の出来具合を占います。この占いは良く当たると言われています。

アマノハギ

アマノハギ ナマハゲといえば男鹿が有名ですが、象潟では小正月の1月15日の夜、小滝、石名坂集落ではそれぞれケラを身につけマサカリを持った二匹の鬼が家々を襲来します。男鹿ではナマハゲといいますが、小滝、石名坂ではアマノハギ、赤石地区ではアマハゲといいます。

サエの神行事

サエの神行事嫁つつき 上郷地区の各集落では、1月15日をピークに子供たちが主役となったサエの神行事が行われます。サエの神は、村の辻、峠等に祀られ、外からの悪鬼、疫病が入らないよう村を守るとされています。中でも一風変わった行事は、大森地区での「嫁つつき」。早く後継ぎを持てるよう、初めて正月を迎える嫁を、初嫁棒でつつきます。

チョウクライロ舞

チョウクライロ舞 6月の第2土曜日に開催される金峰神社例大祭で舞われるのが、国の文化財に指定されている「小滝のチョウクライロ舞」です。
 「チョウクライロ」は「長久生容」すなわち「長く久しく生きる容(すがた)」の意味で、延命長寿を願うものであると伝えられています。 舞の起源は今から千二百年以上前に鳥海山に住んでいたという手長足長という悪鬼を天皇の命を受けた慈覚大師が法力で見事に退治し、その神恩に感謝するお祭りで舞ったものと言われています。

久斯神社祭典(くすじんじゃさいてん)

久斯神社祭典シャギリ 小出地区、白雪川沿いの樋ノ口集落に鎮座する久斯神社は、慈覚大師が刻んだ薬師如来を祀ると伝承されている古社で、明治時代になって旧西小出郷七か村の薬師神社を合祀し現在に至ります。9月の例祭での、神輿行列とシャギリは仁賀保町の文化財に指定されています。

金浦山神社祭典

金浦山神社祭典 上方から来た奉公人が、黒川地区に伝え、その後黒川から金浦元町へと伝わったもので、豊作、大漁を祈願するとき神前にて披露されたものが今でも受け継がれています。

作占い

作占い 毎年6月に諏訪神社の境内に作られた15平方m程の四角く掘られた作占い所で行われます。祭りの前に杉の枝や御幣、米で作られた神様を占い所に祀り、当日御幣の割れ具合や米の散り具合などで稲の出来、不出来が占われます。

迎え火・送り火

迎え火・送り火 象潟海水浴場周辺では、ワラで「盆小屋」を作り、小屋のそばで「迎え火」を焚いて祖先の霊を自宅に導く行事が行われます。8月12日、日が沈み始めた頃、ワラを小屋の近くで燃やし「迎え火」とし、15日の夜には小屋を焼いて「送り火」とします。

酒飲み占い

酒飲み占い 関地区を更に町村、川村、奥村の3つに分け、それぞれからの代表で清酒の飲み比べをします。1.8リットルは入る朱塗りの大杯になみなみとお酒を注ぎ、酒豪が飲みっぷりを競い、一番多く飲んだ集落の稲がその年の一番の豊作になるとされています。

初午

初午 京都・伏見稲荷神社の神が降りたと言われる2月最初の午の日に、市内にある稲荷神社では、子供たちの獅子舞が行われます。子供たちは、神社で舞を奉納したあと、旗や槍を先頭にカネや太鼓を打ち鳴らして集落を練り歩き、海上・家内安全・商売繁盛を願います。

石持ち占い

石持ち占い 横岡集落の稲倉宇賀神社で2月6日夜と7日に行われる行事で、神社に泊り込む「よごもり」に訪れた氏子たちが行います。子供たちの獅子舞奉納後、「男石」「女石」と呼ばれる平たい石を片方の手だけで持ち上げ、豊作を祈願します。「男石」が重さ約4kg「女石」でも約3kgほどあります。昔は若い衆がこぞって石持ちに参加し、力を競って農家の後継者であることを誇ったといわれる、県内でも珍しい行事です。

鳥海山日立舞

鳥海山日立舞 秋田県の文化財に指定されているこの舞は8月13日、15日、にかほ市象潟町横岡集落で行われます。
 この集落も水岡と同じく矢島生駒藩に属したことがあり、能楽を好んだ生駒氏によってもたらされた番楽舞といわれています。
 そのため、昔は生駒家祈願所でもあった熊野神社の祭礼日に舞われたといいます。現在この舞は7月1日の神下ろしに始まります。この日から練習をはじめ、8月13日および15日の夜に会館前で本舞が行われ、9月1日には神送りを行います。

仁賀保神社・齋藤神社祭典

仁賀保神社・齋藤神社祭典 明治15年に創建されたと同時に、奉納相撲が行われています。かつては近郷近在から力自慢が参加し、また観衆も方々から集まり祭りを盛り上げました。当日は、例祭行事が神殿前境内の祭壇で行われ、また、漁船が付近の海岸を華やかに巡航する盛大な祭りとなります。

三森弁天祭

三森弁天祭 幕末の文政年間、三森集落沖で遭難しかかっていた佐竹藩の御用船を地元の人たちが助けたお礼として同船の模型を三森の高昌寺に奉納しました。高昌寺は、もと高寺の弁天沼のほとりに立っていたため、この模型船に弁天丸と名づけ、海上安全を祈願する弁天祭を年中行事としました。

七高神社例大祭

七高神社例大祭 もともとは3月17日と定められていましたが、その後4月15日、6月17日と変更され、現在は4月29日に行われています。山の神、すなわち鳥海山の神を田の神として迎える稲作農耕祭りの意味合いが強かったと思われます。当番宅に迎えた神の前で巫女が舞を奉納した後、白装束の氏子たちに担がれて始まる神輿の御渡。神輿は、子供たちに先導されて集落内を巡航します。


金浦神楽(きんぽかぐら)

金浦神楽 にかほ市金浦(このうら)地域は元町を含む6集落で構成されています。元町の北に黒川という集落があり、この地域に今から400年前、京都から来た奉公人によって伝播されたのがこの神楽の始まりとされています。長年、同集落で伝承されてきましたが、戦後、元町の若者たちが町を盛り上げるため活気あるこの太鼓の演技を習得し、豊作、豊漁、家内安全を祈願して金浦山(このうらさん)神社に奉納し、町の復興を図りました。太鼓を背にして打つ神楽は全国でも珍しく、近年は、他市町村のイベントにも数多く出演しています。

鳥海山小滝番楽

鳥海山小滝番楽 鳥海山を祭祀する小滝修験衆が伝えたといわれています。舞で使用されている面の裏に万治2年(1659年)と製作年が記され、しかもそれまで使用されていたものが壊れたために作ったとあることから、それよりもかなり前から舞われていたと考えられます。現在、15演目を継承しており、6月の金峯神社例大祭の宵宮と8月13日のお盆に天下泰平、国土安全、武運長久、五穀豊穣を祈願して演じられています。

冬師番楽

冬師番楽 本海流番楽といわれ、神舞、蕨折り、牛若弁慶、屋島、鳥舞、翁、三番叟、三人立、山の神舞、地神舞、空臼舞、一人餅つき、番楽太郎、二人餅つき、御獅子舞、やさぎ獅子、頼光が伝承されています。かつては、8月13日仏供養、14日番楽、19日龍馬山奉納、9月8日秋祭り、11月10日悪魔祓いで演じていましたが、現在は8月14日と19日だけになりました。

大森歌舞伎

大森歌舞伎 大森歌舞伎は忠臣蔵五段目「山崎街道」の一場面を演じる芝居です。以前は、稲刈り前に大森神明社境内にやぐらを組み、豊作を祈願して代々神楽を各家々を回った後に同歌舞伎が披露されましたが、現在は7月第三日曜日の大森神明社の祭典の際に行われています。村歌舞伎として残っているのは県内でも珍しく、貴重です。

釜ヶ台番楽

釜ヶ台番楽 本海流番楽といわれ、神舞、獅子、拝舞、翁、さんば、鳥舞、餅搗、三人立、若子舞、さかさま番楽、やしま、根子切舞、二人舞、熊谷次郎、牛若弁慶、やっちゃぎ獅子、番楽太郎、四人空臼を継承しています。かつては、1月16日災難除け、4月8日薬師様祭り、8月14日初棚供養、15日悪魔退散、26日六夜待ち、9月8日秋祭りに舞っていましたが、現在は8月14日と8月20日に演じています。

鳥海山日立舞

鳥海山日立舞 横岡獅子舞とも横岡番楽ともいわれ、生駒氏からの転封の際、随行の楽師が伝えたとされています。日立とは鳥海山の炎が信仰に結びついたものといわれ、舞は熊野神社に豊作祈願と感謝の行事として、お盆に奉納されてきました。7月1日が神降ろしで、8月の13日、15日に演じられ、9月1日の神送りが舞い納めとなっています。全部で19演目があり、ほとんどが四方堅めで舞われ、3拍子と5拍子の2種類があります。

伊勢居地番楽

伊勢居地番楽 鳥海山麓一帯の本海流番楽の一つです。神舞、やさぎ獅子、熊谷次郎、番楽太郎、蕨折り、翁、三人餅搗き、空臼舞、うれしき舞、地神舞、ばくち打ち舞、鳥舞、一人餅搗きと多彩な舞を伝えます。4月1日神降ろし、8月13日初棚供養、26日六夜待ち、二百十日、11月15日神送りの各行事に演じていましたが、今は7月23日の延命地蔵祭の宵宮と六夜待ちだけです。獅子頭に矢島半主生駒氏の定紋がついています。